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やりたいことを何か見つけたり、目標を見つけたりしたものの、それに対して1歩踏み出せなかったり、なかなか行動に移せないと感じて自分を責めてしまいそうになることがあるかもしれません。
そんなときに役に立つ「2つの行動」の話をお届けしたいと思います。
「行動」というものに対する捉え方、考え方がほんの少し変わるだけで、こころも身体も軽くなります。そして、その結果として、気づいたときには自分の行動力が自然と高まっていたりします。
使うか使わないか、取り入れるか取り入れないかは自分の好みに合わせてご自由に調整してください。
Contents
牛歩中の牛歩の行動力だった
僕自身が『自分は行動力がなさすぎる』『1歩1歩が牛歩すぎる』『計画しかできない、実行、達成ができない』というようにいつも思っていました。
余計なことをぐるぐる必要以上に考えてしまうし、それゆえにビビって1歩踏み出せないし、時間だけが過ぎていって『ああ、やっぱ自分はダメだな』なんていう思いだけが積もるし、というような感じでした。
ただ、そこから『もうしょうがない、思考が止まらないならそれはしょうがない』と受け止め、思考が止まらず行動に転換もされない状態も、自分をゆるませ受け止めながら過ごした結果、「行動」についての気づきに繋がり、結果的に行動力の高まりに繋がっていきました。
実際にこの視点や感覚を得て、それを磨いていったことで過去の自分には考えられないようなこと(起業、セミナー開催、ラジオ出演、全国展開など)が、気づいたらできるようになっていましたし、この話をさせていただいた皆さんも似たような結果を得られているみたいです。
一般的な「行動」:手を動かすこと、足を動かすこと、体を動かすこと
行動といったとき、一般的には「手を動かして」「足を動かして」「体を動かして」何かすることを行動と捉えます。
たとえば、何かやりたいことを見つけたとして、それをすでに実現している人の講演会なりセミナーに参加するということだったり、そのやりたいことを実際に少しでもやってみるということだったり、具体的に体を動かして何かをするといったようなことですね。
しかしながら、それはあくまで「行動の1つ」であって、それが「行動の全て」ではないと思っています。
行動には2つある〜目に見える行動と目に見えない行動〜
行動には2つあります。
1つは「目に見える行動」、もう1つは「目に見えない行動」です。
先に挙げたものは「目に見える行動」ということができます。また別の表現をすれば「(目に見える)外側の行動」と表現することもできます。
実際にどこかに足を運ぶことも、具体的な何か形あるものを作ったり生み出すことも、目に見える外側の行動です。
もちろん、これはこれで非常に大事なことですし、これができるということはとても素晴らしいことです。
ですが、「行動」にはこの「目に見える行動」(「外側の行動」)だけでなく、「目に見えない行動」(「内側の行動」)もあります。
目に見えない行動、内側の行動とは「頭と心の行動」のこと
頭で何かを考えるという思考もそうですし、心で何かを感じるということも、立派な「目に見えない行動」(「内側の行動」)です。
そして、この2つの行動(外側の行動と内側の行動)が2つで1輪を成し、自分を前へ連れていってくれます。
人によって目に見える行動が先か、思考や心が先かという違いはありますが、いずれにしても順番や比率が異なるだけでこの2つの行動によって1輪を成し、どんどん前へ進んでいくことができます。(順番や比率についてはまた別記事としてまとめたいと思います)
前に進めないと焦りを感じているそんなとき
なかなか思うように前に進めない、1歩踏み出せない、次の手を打てない、というように焦りを感じているときには、しっかりとした「内側の行動」ができているときなのかもしれません。
手を動かしてなくても、足を動かしてなくても、心を動かしているかもしれません。頭を動かしているかもしれません。
目に見えない葛藤も、目に見えない決断や決心も、そのすべてが立派な「内側の行動」です。
今回のお話が今後何かお役に立つことがありましたら嬉しいです。この話は色々な角度から深められるようにまた話をしていきたいと思っています。
それでは、最後までご覧くださってありがとうございました。
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