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今回は、『人の目が気になってしまう』『人の目が気にならずに、自由に自分らしくいられるようになりたい』と思ったときに、どうしていったらいいのかという話をお届けしていきたいと思います。
人の目が気になることの一側面
まず、人の目が気になってしまう自分を変えていく方法について話をしていく前に、「人の目が気になってしまう」ということは、どういうことなのか、というお話をしていきたいと思います。
また、「人の目が気になる」ことのもう一側面、また別の側面についても一度見てみた後に、「人の目が気にならず、自分らしさを花開いて生きていけるようになる方法」についてお話ししていきたいと思いす。
人の目が気になること=客観性への意識の高さの表れ
人の目が気になるという話になったときに、すぐに解決策に話の内容が行ってしまうことが多いのですが、もう一側面も一度見て、『ああ、こういう面もあるっちゃあるのね』『これからそんな自分を変えていきたいとは思うけど、こういったことでもあったのね』というようにまず感じていただけたら、結果的に自分を変えていくにしてもスムーズにいきやすくなります。
人の目とは、社会の目
人の目とは、何かと言えば、それは「自分の目以外の目」ということであり、「社会の目」ということができます。
「社会」というと非常に大きなものに感じますが、人が2人や3人以上そこにいれば、ある種の立派な「1つの社会」と言えて、職場における人間関係も「1つの社会」と言えますし、学校も、友人との関係によってできているその場も「1つの社会」と言っていいわけですね。
そういった「人の目」つまり「社会の目」が気になるということは、「人や社会の視点」を意識することができているということで、「客観性を持つことへの意識が高い」ということができます。
人の目が気になる人は往々にして思いやりのある人
人の目が気になる人は、往々にして「やさしい人」だったり、「気遣い上手な人」だったり、「思いやりのある人」だったり、「協調性の高い人」である場合があります。
もちろん、人によっては「自分が過ごしやすくするために」「トラブルに巻き込まれたくないから」という主体的な理由で「自分の理由で人の目を気にしているんだ」という人もいるかもしれませんが、それであっても、ベースには協調性や他への思いやりがその裏には見え隠れしています。
誰かの気持ちを汲み取れる、感じ取れる、共感性
このような人への意識を向けられること、しかも、「直したい」と思うということは、「気づいたら自然と無意識に人に目を向けてしまうくせが自分にはある」ということであって、それは、「無意識のうちに人へ意識を向けられる力がある」「無意識のうちに人の立場に立てる力がある」ということでもあるんですね。
もちろん、自分が身動きが取れなくなってしまうほどに、「人の目を気にしすぎて」「人の目が気になりすぎて」大変だ、どうにもならない、人に流されてしまうということもあると思いますが、こういった「感受性」は、仕事においても、恋愛においても、家族関係においても、強みや長所にしていくことができます。
今現時点では、『こんなのやだ』『どうにかしたい』という気持ちが強いかもしれませんが、こういった側面もあるんだな、もしかしたらそういった側面もあるのかもしれないな、くらいで大丈夫なので、頭の片隅に入れておいていただけると、今後に大きな違いが生まれてくるかなと思います。
共感性の高さに自分軸と芯の強さが加わったら無敵
そういった人のことを感じられる感性、共感性の高さを持った上で、「しっかりとした揺るぎない自分軸」「これだけは譲れない、という自分軸」「たとえ細くても折れない強い芯」がそこに加わったら、もうこれ以上にない魅力的な人になれてしまうわけですね。
では、そういった「人の目を気にしてしまう」ことに内包されている自分の長所、強みに化ける可能性を秘めた部分を大切にしながらも、「自分の軸」を持ち、自分の力、魅力を開花させていくための順番、方法についてお話ししていきたいと思います。
「私はこう思う!」の2歩手前からはじめよう
人の目が気になったり、人がどう思うか気になるという人は、人に対する感受性が強いのと同時に、優しさが強く、共感性、同調性も高いので、自分の意見や考えなど、自分の軸を持つことが難しかったりします。
もちろん、それらは相反することなので、どちらかが長けていれば、もう一方が不得意であっても普通ですし、劣っているというわけでもありません。
ちょっとここで話が逸れますが、人の目が気にならない人、すなわち自分軸が強固にある人は、その人はその人で「人の目を気にしなさい!」と言われたりするんですよね。笑
なので、どちらにも大変な部分はあるのですが、既に持っている性質、長所に合わせて、もう一方の力も身につけていくことは大変なことではありますが、その分、その「もう一方」の力も磨くことができて、「両方」を持てるようになったらそれはとても魅力的ということなんですよね。
自分を持つために、自分に気づいてあげる
では話を戻して、「人の目が気にならなくなる自分」への第1歩目、ですが、それは、「自分の感情に気づく」ということです。
人の目が気になってしまうという場合、いきなり「自分の意見を持て!」「自分の意見を言え!」「人の目なんか気にするな!気合いだ!」なんて言われても無理なわけです。笑
そんなこと言われて、無理やりそんなことをしようものなら、心が砕けてしまいます。
もちろん、その荒療治でどうにかできる人もいるのかもしれませんが、かつての僕を含め、それは無理でした。
「エイヤー!!」は無理なので、むしろ心が疲弊して無気力状態に近づいていってしまうだけなので、そういう必殺技は10回に1回とか1年に数回とかそれくらいのレベルにしておいて(笑)、別のルートをメインルートにして辿ってみましょう。
自分の感情に気づくところから始める
それが、「自分の感情に気づく」ところから始める、ということです。
「外に(誰かに)言う」ことだったり、「自分の意見を持つ」ということだったり、そういったことの前に、「自分の気持ちに気づく」というところから丁寧にやっていくと、「自分というもの」の輪郭が少しずつ見えるようになってきます。
大したことじゃないと思えるかもしれませんが、最初はここからでいいんです。
そして、感情って言っても、些細な感情からでいいのです。
小さな喜怒哀楽に気づくということから始められればいいんですね。
カレーがおいしいな、このカレー個人的に好きだな
たとえば、『カレーがおいしいな、このカレー個人的に好きだな』と思うことって、別に「大したことないこと」に思えますよね。
でも、そこからでいいのです。
たとえば、それ(そう思うこと、感じること、感じていることに気づくこと)を繰り返しできたとしましょう。
そうしたら、もしかしたら『このカレー屋さん、誰かに教えてあげよう!』と思えるようになっていくかもしれません。それほどまでに心のエネルギーが豊かになっているかもしれません。
また、友人と会って「ご飯どこに行こうかな?」という話になったときに、いつもなら「どこでもいいよ!」と言うところを、「◯◯っていうところおいしいんだよ、行ってみない?」と言えるようになっているかもしれません。
これって、立派な「人の目を気にしないで、自分の意見を言っている」「主体的な言動(行動)ができている」ということですよね。
本当にこういうところからで大丈夫なんですよね。
友達に言えるようになって、少し遠い人にも言えるようになって…
こうして「仲のいい友人にカレー屋さんを教える」ということまでできるようになってきて、例えばそこでその友人に喜んでもらえて、さらに自分の自信も育って行ったら、例えば「職場の上司」というような「少し距離の遠い人」に対してまで、「おすすめ」できるようになっていくかもしれません。
それっていうのは、『どう思われるかな』という「人の目を気にする(しすぎる)」ということを越えたその先に辿り着いているということの1つですよね。
このようにして、少しずつ自分の心の内側の力、内圧を高めていくことができ、次第に「周りの目が気にならない自分」「自分の気持ちを尊重できる自分」「自分らしさを出していける自分」になっていくことができます。
人に言えなくてもいいと言う前提で、感情に気づく
まず最初は、「人に言う」というとこから始めなくていいので、「自分の感情」に気づくというステップから始めてみてください。そうしていくうちに、『ああ、自分はこういう風に思っているんだな』『自分ってこういう考えを持っているのかな』というようなことの輪郭が見えるようになってきます。
そして、それが自分軸の小さな種となって、芽を出し始めます。
ということで、よかったらお試しください。
それでは、最後までご覧いただきありがとうございました。
人の目を気にしない自分になれる力をくれる「自己肯定感」という話もきっと役に立つので、よろしければこちらも合わせて一度お読みください。気づけた自分の感情との向き合い方の参考にもなります。
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