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完璧主義が自分の中に染み付いていると、物事をキッチリこなす能力として力が発揮されて役に立つこともある一方で、行動にブレーキがかかってしまったり、こころを自ら締め付けすぎてしまうこともあると思います。
もともと、緻密さや精確さのあるそういったタイプの人が、それらを持ちつつも、臨機応変なゆるめ上手にもなって、行動のブレーキが軽くなり、こころにもゆとりを持たせた状態でキープできるようになると、鬼に金棒ですね。
これまでにもいくつかの角度から完璧主義を卒業していく、もしくはゆるめていくための考え方、方法についてお話ししてきましたが、今回は「忘れることと思い出すこと」というテーマでお話ししていきたいと思います。
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忘れちゃいけないのではなく、思い出せればいい
何か新しい考え方や新しいものを身に付けたいと思ったとき、忘れてしまうことっていうのはあると思います。
たとえば、自分の口ぐせを少しずつ変えていきたいなと思ったとします。自分が何か『大変そう』と思ったものに対して、「面白そう」と変換して喋るように口ぐせを変えていこうと思ったとして、でも、あるときふと「それ大変そう!」と言ってしまったとします。
もちろん、そのときに「大変そう!」と口から出たことに対して、『ああ、口ぐせ出ちゃった!』と気づくことは大事かもしれませんが、自分を責めすぎなくて大丈夫です。
何かを「身につける」というのは、「忘れない」ということではなく、「思い出せる」ということです。
思い出す回数が多い、思い出している時間が長いということ
「身につける」、「身につく」というのは、思い出す回数が増えていき、(結果的に)思い出している時間が長くなっていくことです。
78:22の法則に基づいて考えてみると(参照:『78:22の法則の活用』)、「100:0」はないわけで、完璧はないわけですね。
となると、仮に自分が身に付けたいと思っているものが身についている、マスターしている状態の人であっても、時には忘れてしまうこともあるでしょう。
しかし、それでもそういったマスターしている人たちが「ほぼマスターしている(ように見える)」のは何が違うのかといえば、「思い出すのが早い」「忘れてもその都度思い出してきたその回数が多い」ということでしょう。
忘れたことを責めるのではなく、思い出したことを褒める
となるならば、少しずつでも「思い出した回数」が増えてえていけばいいのです。
そうして、「思い出した回数」の貯金が貯まれば貯まるほど、忘れたときに思い出すスピードも早くなり、「ほとんど思い出しっぱなし」になり、しまいには「1周して忘れる」ようになり、"マスターしている"状態となっているでしょう。
何か新たに心がけていきたいことがあって、それを『ああ!忘れちゃってた!』となるときがあっても、それは「思い出せている」ということに他ならないので、「ああ!忘れちゃってた!=思い出せた」と気づいて、「思い出せた回数」の貯金にして貯めていきましょう。
『あ!忘れてた!』は『あ!思い出せたんだ!』というポイントです。
それでは、最後までご覧くださってありがとうございました。
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