ご覧いただきありがとうございます。
今回はちょっと一風変わった感じで、僕自身がこのブログで引き寄せの法則について話している理由についてかんたんにお話しさせていただきたいなと思います。
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1つの武器、たった1つの武器
基本的にはこのブログでは「引き寄せの法則」と「心(こころ)」の話を中心にしています。
心が軽やかになって、やわらかさとしなやかさを得たとき、引き寄せる力も自然とそれに比例して高くなっていくということがありますので、引き寄せの話は心の話に通じ、心の話は引き寄せに通じています。
僕自身、この引き寄せの法則というものに出会ったのは、何の知識も経験もない20歳のときでした。そのときに唯一手にすることができた"武器"と言えるかもしれません。
と言っても、知ったばかりのころは半信半疑でしたし、そういった本を読んでみても感覚的な説明が中心だったので、物事を頭で考えがちな僕には雲をつかむような話でちんぷんかんぷんな部分が多かったです。
それでも、その他に自分が手にできる未来を切り開く"武器"がなかったので、武器の使い方もよくわからないままに(笑)使い始め、少しずつ上手に使えるようになっていき、やがて、20歳のときに手にした武器のおかげで仕事もライフスタイルも数々の出会いも想像を遥かに超えたものとなりました。
武器はいくつあってもいいと思いますし、複数持てるならばそれに越したことはないんじゃないかなとも思います。ただ、かつての僕と同じように、もし何1つ人生を切り開いていく武器を持っていないなと感じた場合でも、この引き寄せの法則が1つの武器になったら嬉しいなと思ってお話をさせていただいています。
1日1日を生きるというのは凄いこと
日々生活をしていると、いろいろな出来事が起きますよね。
それは仕事であったり、学校であったり、家庭であったり。楽しいことや面白いこと、ドキドキすること、ワクワクすることも沢山ありながらも、心が乱れること、落ち込むこともまた、あると思います。
ここで僕が言いたいのは、「命を頂いて生きているんだから有難いことで凄いことなんだよ」ということではなくて、もちろんそれは有り難いことなのはまちがいありませんが、命を頂きながら生きていたって、命を続けることの大変さもあるんですよね。
1日を生きるってことは、その日仕事に行って帰ってきたとしたら、仕事を1日どんな形であれやり切ってきたということだし、学校に行って帰ってきたとしてもそう。仮に仕事や学校に行っていなくたって、だからって楽だとかそういうわけじゃなくて、その立場立場で心の中での葛藤があったり、向き合ったりしているものがあるんですよね。
だとしたら、何をしていたって、何をしていなくたって、1日を生き抜くということはすごいことなんですよね。今日という1日を生き抜いたということはすごいことなんですよね。
毎日がサバイバル記録更新(笑)
生きていると、光を追い求めたくなる時もあれば、光から目を背けたくなる時もあると思います。
夢や目標だったり、そういった光を1度目に入れると、それが自分の力になってくれることもあれば、それによって「夢や目標と今の自分のギャップ」に苦しさを感じることもあると思います。
自分に見えているその光によって、かえって『自分はこんなところが足りない』、『こんな自分はダメじゃないか』と、思ったり感じたりすることもあるかもしれません。
でも、1日を生き抜いていたら、それですごいわけなんですよね。たとえ自分の思い描く光がずっと遠くで、手が届きそうになくて、自分なんてだめだと思いそうになってしまっても、「生きる」ということができていて、その時点ですごいんですよね。毎日「サバイバル記録更新」(笑)してるんですよね。
だから、引き寄せの話にしても、「できたらすごくて、できなかったらすごくない」とかではなくて、「できたらすごいし、できなくてもすでに十分すごいんだよ」ということが根底で伝わったらいいなと思っています。
自分に自信は持てなくても、間接的にでも
光を見ていくにしても、最初の頃はとくになかなか自分に自信を持つということはむずかしいかもしれません。
でも、そんなときに、たとえ自分に自信は持てなくても、自分の可能性はなかなか信じられなくても、「引き寄せの法則の持つ可能性」をほんの少しでも信じられたらそれで十分だと思うんですね。
もちろん、引き寄せの法則でなければならない必要もないと思います。何であっても大丈夫だと思います。
ただ、僕の場合は20歳の時にご縁があって、その後の人生でも引き続きこの引き寄せの法則はご縁があるので、引き寄せの法則を取り上げている、ということです。
自分に最初は自信が持てなくても、自分以外の"他の何か"であっても、それによって小さな何か結果や実感を得られたらいいと思うんですね。そこからはじめられればいいと思うんですね。
たとえば引き寄せの話であれば、飴玉1つでもいいのです。飴玉1つ引き寄せられたことを通して、引き寄せの法則に対する確信をほんの少し深めたり、引き寄せの力を使って飴玉1つ引き寄せられたことを小さな自分の自信にしてもいいのです。
そうやって、「小さいけど引き寄せができた自分」というところから自信の光は少しずつ育てていけたらいいと思うんですね。ほんの少し、ほんのひとまわり、自信の光が大きくなっただけで十二分に素晴らしいことで、そういうことが伝わっていったらいいなと思っています。
今日1日が変わったら、それは人生が変わったということ
人生が変わるというのは、何も物理的な何かが大きく変わるだけがすべてではないのだと思います。そして、「未来数十年が変わった」ということだけが「人生が変わった」ということでもないのだと思います。
今日という1日も、貴重な人生の一部であって、もっといえば「人生本体そのもの」であって、今日という1日が変わったらそれもまた、人生が変わったと言ってもいいのかもしれません。
そうやって、今日という1日が変わっただけでも人生が変わったと認めていいんだ、と思えたとき、自然と「今日という1日が変わった」が積み重なり、未来のその先で振り返った時、人生全体が変わっていたと改めて実感するのかもしれません。
可能性を感じられるだけで光り煌めく
そして、「今日という1日が変わった」というのは、物理的な何か目に見えるものは変わらなくても、心の中の何か1つでも変わったことがあったのなら、それも「変わった」なのです。
たとえば、受験失敗したあとに「引き寄せの法則」を知ったときの僕は、目に見えるものは何も変わっていませんでした。でも、未来の可能性が見えただけで、心は軽くなって、心が大きく変わったんですよね。
たとえその時点では何も手にしていなくても、未来の可能性を感じられただけでも、その日から目に入る景色や生まれる感情は変わったんですよね。
僕はそういった、物理的な何か、目に見える何かは何も変わっていなくても、心の中が変わっただけでも、世界の見え方がほんの少し変わるだけでも、それもまた十分素晴らしいことだと思います。
物理的に何かが変わる、目に見えた何かが未来に変わることは、その先でもたらされることですが、それがもたらされたら素晴らしくて、もたらされなかったら素晴らしくないということではなくて、もう十分その時点で素晴らしいことなんだということを、記事を通して一緒に感じていけたら嬉しいなと思っています。
6人先まで煌めきの伝播
「六次の隔たり」という1つのお話があります。
これは、「友人の友人の友人の…」という形で6人を介せば世界中の誰とでも繋がることができるという話です。つまり、地球の反対側の人にだって、どんなに遠くの、どんなに今の自分から縁遠い人であっても、6人を介すだけで繋がることができるというわけですね。
このブログの記事を読んでくださる方の心が軽くなったり、自信が持てるようになったり、放つ光がひとまわり大きくなることに貢献できたらうれしいなと思っていますが、たとえそれが「たった1人」であっても、そのたった1人から「6人先まで」間接的にでも伝わる何かがあったらうれしいなと思っています。
そして、「地球をぐるっと1周」する何かがあったらとてもうれしいなあと思っています。
今回は中でも個人的な内容の記事となりましたが、最後までお読みくださってありがとうございました。あなたのお役に立つ何かが、心のちからになる何かがこのブログにあったらうれしいです。