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「褒め上手」は、人間関係を滑らかにする1つの力であり、表面的な充実だけでなく、内面的な充実ももたらす力でもあります。
仕事においても、家庭においても、恋愛の場面でも、友人との人間関係においても、自分の「褒め上手」を磨いていくことは、自分の世界を変えていくことに繋がります。
仕事でモテる、恋愛でモテる、友人にモテる、etc...それはすなわち、それぞれの世界において成功するということと同義と言えます。
コーチやセラピスト、コンサルタントは(もちろん人によりますが)一種の「褒めのプロ」です。そんな「褒めのプロ」のコーチやセラピスト、コンサルタントの相談にこれまで沢山乗ってきて、また、1からの「褒めのプロ」デビューのお手伝いもさせていただいてきた経験を踏まえて、「真の褒め上手」になる方法をまとめていきたいと思います。
褒めることのハードルを下げる
まず、自分の中で、褒めることのハードルを下げることが大事です。
多くの場合、「すごいこと」を褒めなければならない、というように「褒める」ということのハードルを上げてしまっていたりするんですね。
そうなると、褒めることがなかなか難しくなっていってしまいます。
「褒め上手」な人たちは、この「褒めるハードル」が低いのです。
おべっかだとか、お世辞だとか言われないか?
また、褒め力を磨こうと思ったとき、『おべっかとかお世辞だとか思われないだろうか』と思って、こころの抵抗を感じることもあるかもしれません。
そんなときは、「気づく」だけでもOKです。
例えば、とある人が水色の素敵な靴を履いていたとします。
そのとき、「その水色の靴素敵ですね!」とか「かわいいですね!」とか、そうやってダイレクトに褒めることは、最初のうちは特に、なかなか難しいかもしれません。
そんなときは、その一歩前で良くて、「あ!今日は水色の靴なんですね!」とか、「気づいて伝える」だけでも大丈夫です。
冷めた言い方をしてしまえば、「ただ客観的事実を述べる」と捉えればOKです。
「かわいいですね!」とか言おうとすると、自分の思いだとか自分の意見だとか「主観的セリフ」になるので、ハードルが高くなるということもあると思うんですよね。
そんなときには、ぜひ「客観的事実を述べる」ことで、「説明してるだけ」「確認してるだけ」と思ってください。笑
髪を切った人がいたとしても、「髪切ったんだね!似合ってるね!」とか「髪切ったんだね!いいね!」まで言うのが難しくても、「髪切ったんだね!」まででOKということです。
そこまで言うことができれば、「どう?似合ってる?」と逆に質問してくれて、その質問に乗って「うん」とか言えたりしますよね。
それに、もしそういった質問が返って来なくても、人は「気づいてくれただけで」自己重要感が満たされて、嬉しくなるんですね。(自己重要感についてはこちら(執筆中))
なので、最初は「気づいたことを伝えるだけでOK」と思っていただければと思います。
褒めるポイントに対するハードルを下げる
今は、「褒める」前に、「気づいたことを伝える」だけでもOKである、ということをお話ししました。
次に、「褒めるポイント」についての話をしたいと思います。
褒め上手になりたいなと思ったとき、『どこを褒めればいいのか?』と思うこともしばしばあると思います。そんなときには、「当たり前のことを褒めていい」とハードルを下げてみてください。
目の前の人が当たり前だと思っていることを褒める
当たり前のことを褒めるとなると、「何?ケンカ売ってるの?笑」となることを心配されるかもしれません。笑
しかし、ここに関しては、「当たり前のことを褒めることこそ偉大!」くらいに、強い芯を持ってもらえたらいいなと思います。そして、堂々と「当たり前こそ褒める」と思ってもらえたらいいなと思います。
どういうことか、ということなのですが、理由は2つあります。
当たり前は人によって違うからこそ
まず1つは、当たり前ですが、「当たり前は人によって違う」ということです。
例えば、保育士さんがいたとしましょう。
その保育士さんにとって、泣いている子どもをあやすことは「日常的」なことで、ある種「当たり前」のことの1つです。
しかしながら、そういったお仕事でなく、子育て中でない場合、それは当たり前ではないわけですね。
このように、「人によって何を当たり前としているか」は違うわけです。
このとき、『この人にとっては当たり前だし、大したことじゃないと思ってるだろうな』とこちら側が思ったとしても、「だからこそ」それを伝えるのです。
どういうことかというと、「当たり前」=「熟達」「熟練」ということなのです。
「当たり前」にそれができているとしたら、それは、「当たり前に」それができてしまうくらいに「熟達している」「熟練している」ということなんですね。
もはや、「無意識レベル」でできているということなわけです。
これって、「意識してがんばって」できている、ということより、何倍も何十倍もすごいことですよね?
でも、何倍も何十倍もすごくなったときって、本人は「ふつう」「別にすごくない」って思ってるんですよ。笑
すごくなればなるほど、すごくないって思ってるんですよね。
当たり前のようにできちゃうから、すごいわけです。
それこそがすなわち「才能」だったり、「才能の一片」だったりしますから、ぜひ、『この人にとっては当たり前だろうな』と思うことこそ、堂々と伝えてください。
「その人の環境では当たり前」なだけで「外」では凄いこと
さらに加えて、その「当人」というのは、「それが当たり前と言われる環境」にいることが多いんですね。
例えば先に挙げた保育士さんの場合でも、当然周りにいる人たちは保育士さんであって、「それが当たり前」とされる環境にいるわけですね。
なので、なおさら本人にとっては「当たり前」という認識になってしまうわけなのです。
『プロをその分野で褒めるなんて失礼なんじゃないか』と人によっては思うかもしれませんが、「プロだから当たり前」とされてしまうからこそ、その部分で褒められたり、認められることがないのではないでしょうか。
プロとしてやっているということは、その部分に最も時間を割いてエネルギーをかけてやっているわけで、だからこそ「当たり前」のようにそれができてしまうわけですが、そんな風に1番労力をかけてがんばっているところだからこそ、伝えることは、その人に深く届くこともあるわけですね。
まずは、気付ければいい
とは言え、なかなか「本人に伝える」ことは、伝える側としても勇気が必要な場面もあるかもしれません。
そんなときは、ぜひ「(言えなくていいから)気づく」ということからはじめてみてください。
そうやって「こころの中で気づく」ということを繰り返しているうちに、こころの中のコップに水が溜まって、その水が自然と溢れるときがやってきます。
なので、伝えられなくても、言えなくてもいいので、まずは「自分のこころの中で気づく」ということからはじめてみてください。
それでは、最後までご覧くださってありがとうございました。
この褒め上手、褒め力はまた別角度からも記事にできたらいいなと思います。
今回の話に関連する「自己肯定感」の話はこちらです。これを理解することは、「褒め上手」の「本質の理解」に直結していきます。
>>『自己肯定感を確実に高める方法〜大人でも大丈夫、9900通のメールからわかったこと〜』