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子どものころから自分を律していくことは求められ、大人になるとますますそれが求められるようになります。そうしていく中で、「こうしなければならない」「こうでなければならない」というような義務感という霧に包まれて次第に視界が遮られてしまうことがあります。
視界が遮られてしまって何が見えなくなるかというと、「自分がやりたいことって何なのか?」「自分が好きなことって何なのか?」といったようなことです。
しかしながら、その霧が晴れてそれらが見えるようになってくるきっかけは身近なところに落ちています。
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蔑(ないがし)ろにされがちな「気分」という存在
この世界に生まれたときから、「人間社会」で生きることになります。その世界では思いやりが大事になり、人を気遣うことが必要になり、協調性が重要になります。
生まれてからほんの数年で保育園や幼稚園に通うようになり、その後小学校、中学校、高校と集団生活、社会生活を学んでいきます。
こういった中で、人と生活するということ、人の社会で生きるということを学び、その術を体得していきます。
しかしながら、そういった中では当然のことながら「自分のことだけ」を考えていくことはできず、周りや全体というものを意識しながら、自分を律して生活を送ることとなります。
たとえば、学校のクラスに30人いるとします。
そして、30人の一人ひとりに「1つの気分」があったとします。
仮に体育で「やりたいことは何だ?」と先生が聞いてきて、「ドッヂボールやりたい!」という気分が25人分あったとします。
そうなると、もし自分がやりたいのは「ドッヂボールではなくてゲートボール」だとしても、「25人の気分の集合体」には勝てなくなってしまって、その気持ちをどこか隅っこに置いておかなければならなくなるわけですね。
なかなかのたくましさや意志の強さやセルフイメージの高さがないと、「25:1」の状況でその「1」を表に出すことはむずかしいですよね。
こんな風にして、「全体の気分」にどんどん押されていって、自分の「1の気分」、相対的に小さく感じてしまう「自分の気分」が徐々に自分の心の隅っこに追いやられていってしまいます。
社会性という東の極はきっと十分伸びてる
たとえば、自分を律して身につけていく「社会性」が東の方角に位置しているとします。そして、自分の「個性」は西の方角に位置しているとします。
物心ついたときには「社会」の中に身を置き、東の方へ東の方へと歩みを続けていくことになります。そして、東の方角へ延伸していきます。
東の方角へ延伸し始めて早何年でしょうか?
もしかしたらくるっと向きを変えて、西の方に線を伸ばしてみてもいい時期なのかもしれません。
東に伸びた線と西に伸びた線のその線分の長さは魅力の大きさ
ずっと伸ばしてきたその東の線は当然のことながら無駄にはなりません。
もちろん、ずっと東の線を伸ばしてきたので、西の方角に線を伸ばすことは勝手が違ってなかなか思うように進まないことがあるかもしれません。
しかしながら、そうやって伸ばすことのできた西の線と東の線とが合わさってできたその線分はあなたの魅力になります。
みんなのことを気遣いながら会社でチームを率いていながら、休日の日にはただひとり時間を忘れてサックスに没頭し、サックスのこととなれば語り出したら周りなんて気にせず止まらない(笑)、なんていうのは「ギャップ」であり、その人の人間的魅力になりますよね。
もし、周りを気にしすぎてしまうことがあったり、思いやりや気遣いが豊かな場合には、一度思い切って『これは自分勝手すぎないか?』と感じるほどの選択をして、西の方へ線を伸ばしてみてもいいのかもしれません。
東に十二分に伸びた線を持っている場合には、それくらいに感じるほどのものでちょうどいい塩梅かもしれません。
東の線の伸ばし方と西の線の伸ばし方
東の方へ線を伸ばしたいときに意識を向けるといいのは、「みんなの声」や「どうあるべきか」という外の声や外からの目線です。
一方で、西の方へ線を伸ばしたいときに意識を向けるといいのは、「自分の気持ち」や「気分」という自分の内の声、内側からの目線です。
しかしながら、東の線をずっと伸ばしていると、西の線の伸ばし方がわからなくなってしまうことがあります。
自分の気持ちや感情や気分が見えにくくなってしまうことがあるんですね。
そんなときはぜひ、次の要領で西の線を伸ばしてみてください。
自分の中の「なんとなく」をキャッチする
自分の気持ちや感情、気分を掴んで西の方へ線を伸ばしてみたいときには、「なんとなく」というキーワードを意識してみてください。
「なんとなく」というものに意識を向けはじめると、『なんとなくこれ好きだな』『なんとなくこれいやだな』というようなことをキャッチできるようになってきます。
中には、『友達はすごくこれが好きだというけど、自分はなんとなく苦手だな』とか『友達はあんまりこういうの好きじゃないみたいだけど、自分はなんだか好きなんだよなあ』というものもあると思います。
そうしたら、その「なんとなく」を大事にしてみます。
そして、そのなんとなくの方へもう1歩踏み出してみます。もちろん、そっちへ1歩踏み出したからといって、そのままそっちへ突き進まなきゃいけないとかではなく、帰ってきて大丈夫なので、気軽に1歩踏み出してみます。
そうすると、「なんとなく」としか「説明がつかなかった」けど「自分の中に確かにあるもの」に近づいていくことができます。
それを辿っていくことは、もしかしたら周りとズレていくことかもしれません。ですが、それは同時に西の線を伸ばしていってくれることでもあるかもしれません。
「なんとなく…」としか説明のつかないその方角こそ、西の方角を指していて、自分が「個」として進む方角を教えてくれているのかもしれません。
今回の話が今後のお役に立つことがありましたらうれしいです。
最後までご覧くださってありがとうございました。
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