ご覧いただきありがとうございます。
先日のタンブラーの一言を展開して
お話ししたいと思います。
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「人生で無駄なことはない」以外のもう1つの思考系
何かを目指していて、なかなか思うようにいかなくて、右往左往して、『ああ、これは無駄だったのかな』と思うことたまにありますよね。
『こんなことやらなければよかったのかな』とか『最初からこうしていればよかったかな』とか。
そんなときに、そんな自分を励ます定型文として「人生無駄なことなんてない」という有名なフレーズがありますね。
僕自身もこの言葉に支えてもらったことがありますし、この言葉の恩恵を受けてきました。
しかし、もう1つ、ちょっと違う形もあるのかなと思っています。
それが「人生で無駄なことはあってもいいんじゃない?」です。
がんばらない思考スタイル、ゆるませていく思考スタイル
人生で無駄なことはない!はとても素敵です。
でも、僕が思うにこのフレーズを自分の中から引っ張り出そうとするタイミングって結構精神的体力が消耗しているときなのかなと。
それはなかなか目に見える成果に繋がらないと思うときかもしれないし、遠回りして時間を無駄にしてしまったと感じるときかもしれません。
そんなときは、心が少し疲れています。いや、だいぶ疲れています。
そのときに自分の心に発破をかけるのも1つだとは思います。「無駄なことなんてないんだ!」と。
でも、人によっては、タイミングによっては、それは心に「追い打ち」をかけることになってしまいます。
もうすでに心は十分頑張っているんですね。それこそ、「無駄なことなんてないんだ!」と自分で自分に声がけをしなければならないくらいに。
なので、もう1つの思考の道、思考スタイルの可能性を自分の中に持っておいてあげると楽になれるかなと思います。
それが「人生で無駄なことはあってもいいんじゃない?」です。
「無駄を無駄としない」のではなく、「無駄は無駄のままでもいい」という世界観
無駄を無駄としない、無駄を許さない、って結構つらいです。
もちろん、無駄を排除!って感じでそういうストイックさがあると、「効率化」の役には立ちます。
仕事の面などでどんどん効率化をすることができます。
ただ、人生スパンで見たときには無駄を許すと楽かな、結果的に肩の力が抜けて(人生全体に比べると)ミクロな仕事や生活という面において、より力を発揮できるんじゃないかなと思います。
なので、「そもそも無駄は無駄のままでもいい」という思考スタイルは1つおすすめです。
最初からゴールへ行っちゃえばいい、それが「無駄は無駄でいい」
ちょっとここで思考遊びです。
実は、
「人生で無駄なことはない!」=「無駄は無駄でいい」
です。
分解してみましょう。途中式解説します。
〜Aという出来事/結果が発生〜
①うわあああ!無駄だああ!
②いや、これは無駄なんかじゃない!無駄であってたまるか!無駄はない!<無駄君の存在否定>
③そうだ!これだ!こういう意味があった!<有意義君の発見>
④無駄は無駄じゃなかった!
〜〜
ここに登場人物が2人います。
無駄君と有意義君です。
Aという出来事が起こって、これは無駄だ!と無駄君認定します。(①)
だけど、無駄はないはずだと、無駄君を否定します。(②)
そして意味を見つけます。Aを無駄君ではなく有意義君と見られるようになります。(③)
やっぱり無駄君なんて存在しなかったんだ!(④)
こんな流れです。
でも、これって無駄君が存在しなかったんじゃなくて、無駄君に有意義君の顔もあったということなんですよね。
「A=無駄!」→「A=有意義!」→「A≠無駄かつA=有意義!」
ではなくて、
「A=無駄=有意義」
なんですね。
無駄だと感じる側面を否定して、有意義という側面だけを肯定するのではなく、『無駄と感じる側面もそりゃあるよね、だけど有意義な側面もあるよね』という感覚です。
これが無駄君と有意義君の両方の存在肯定です。
だって、もともと「A=無駄なんじゃないか?」と思ったわけです。感じたわけです。それならAにそういう側面もあってもいいよね、ってことです。
そしてそういう側面があってもいいよね、って言えるのは心のしなやかさです。
無駄は無駄じゃなく有意義。
ここからもう一歩進んで、
無駄は無駄じゃなく有意義だけど無駄でもある。
これは実は一番自然体にいられて無駄君が有意義な側面の力も最も発揮してくれる在り方です。
無駄はないんだ!と言えるのも強さです。
だけど、無駄はあってもいいんじゃない?と言えるのも強さの1つです。
自分に合う方をその時々で選べる自分でいられると、自分の空気の軽やかさが増します。
ちょっと深掘り:無駄君の存在肯定〜人生の豊かさ1万倍の法則〜
そもそものところで、無駄君の存在肯定をしておくと楽です。というのが今回の話です。
無駄君の存在を無意識下でゆるしていないと、自分の中で無駄があってはならないので、無駄(と感じられること)が発生する度に「無駄君の有意義君化」を始めます。
これ、結構疲れますよね。
それこそ、これが無駄じゃんってなりません?(笑)毎回毎回、無駄君をオリャーと有意義君化していくことが。
いや、もちろん無駄ではないですよ。
だけど、「無駄君→有意義君化」、「無駄君→有意義君化」、「無駄君→有意義君化」ってしていくと、「この新しい無駄も有意義かも?」って、なってきます。
最初のうちって、「この無駄が無駄でない(有意義である)理由」を見つけられるまでは「有意義君」認定できないんですよね。
でも、「無駄君→有意義君化」を繰り返してると、「あれ、これもどうせ有意義君なんじゃ?」ってゴールが先に見えてくるようになるんですよね。
で、さらに今度は「これもどうせ有意義君なんでしょ?」を繰り返していると、「ってかそもそも、無駄君って有意義君なんじゃない?」、「無駄君とか有意義君とかないんじゃない?」となってくるんですね。
そして「『無駄君じゃなくて有意義君』なんじゃなくて、『無駄君であって有意義君』なんだね」となるわけです。
そうなって初めて「じゃあ無駄君って無駄君のままでいいんだね」ってなるわけですね。
こうなってくると、
Before:無駄君発見!→無駄じゃない理由探し!→有意義だった!→よし!
After:無駄発見!→よし!(笑)
で終わるんですね。
こうなると、自分がやりたいことや取り組んでみたいことが無駄になるかならないかとかどっちでもよくなるんですね。
そうなると、行動の軽やかさが100倍くらい変わります。
そして自分が挑戦できる領域も100倍くらい広がります。
なぜなら、無駄になる可能性を感じるものを排除しなくなるから。
結果として、自分の人生の豊かさが「軽やかさ100倍×挑戦領域100倍=1万倍」となります。
もちろん、そうは言っても最初はなかなか無駄の存在肯定って骨が折れると思います。
でも、「無駄は無駄のままでもいい」という1つのゴールが心の奥で見据えられているだけで、ずっと早く「人生の豊かさ1万倍」に辿り着くと思います。
あなたのこれからに役立ったら嬉しいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。