ご覧いただきありがとうございます。
自分に自信を持つ方法ということでお話をしていきたいと思います。これ、僕自身がすごく苦手で、本当になかなかできなくて、だいぶ時間がかかったように思います。笑
もちろん、今でも自分のこころとの付き合い方というのはそんな器用な気はしませんが、昔に比べれば「要領」や「術」を身につけられてるかなと思います。
2浪で偏差値35の無名大進学から、やりたいことを見つけて、大学を中退して、ライフワーク実現して、全国にお客さんができて、心理学系のラジオ番組に出て、2週に渡ってインタビューで好き勝手言いたいこと言って。
でも、基本的には気合いも根性もあるタイプではなくて、中学校の時は野球部だったんですが、毎日部活辞めたいと思ってたし、「全力」とか「死ぬ気で」とか「必死で」とかそういう言葉に対しては心が拒絶反応起こすし、真っ赤なエネルギーで全然頑張れないそういうタイプです。
ゴリゴリやってジャンジャン結果出して、自信をつけられればよかったのですが、そういうこともできないわけで、「結果が出てないのに自信をつけられる方法」を自分の中で見出さなければ、自信を育てられませんでした。
その話を今からしていけたらと思います。
がんばる:ゆるませる=2:98
もう本当にこれに尽きる、というくらいに自分の中心に据えていた感覚です。
その他のいろいろは、「ゆるませる」ことのレパートリーで、そのためのいろいろな考え方で、これに始まり、これに終わるというくらいにこの「がんばる:ゆるませる=8:98」に意識を向けてきました。
ここでいうところのがんばるというのは、「締め付ける」「追い込む」「絞る」というような、そういったイメージ、感覚のものです。
たしかに、人によってはそれによって自分自身を高め、自信をつけていけたり、自信を持てるようになっていく人もいると思います。ストイックにやるからこその、そのストイックを乗り越えた自信、という形。
しかしながら、僕はそれが全っ然、できなかった。本当にできなくて、それをやろうとした挙句どうなったかといえば、ろくに大した行動もできないまま、ベッドの上で仰向けになって天井を仰ぐことしかできない、1日に食パンを1/2枚しか食べられない無気力状態になりました。
ただ、そうは言っても、どうにかしなきゃいけないわけで、でも、がんばれないとしたらどうしたらいいんだろうか、ということでもう「反対側」に振り切るしかありませんでした。
それが、「がんばる方」に振り切るのではなく、「ゆるませる方」に振り切るということでした。
がんばるとしても、がんばるベクトルを変えてみる
もしかしたら、いや、もしかしなくても(笑)、僕と似たようなタイプの方もたくさんいらっしゃると思います。『あ〜、わかるわ〜』って思ってくれる人もいると思います。
そんな人の役に立ったらいいなと思います。
やっぱり世の中では「がんばらなきゃいけない」っていうのは、まだまだあるわけで、それはそうなんだと思うのですが、もし、『がんばらなくていいのか?』という思いが自分の中で沸いたら、『ゆるませることをがんばっている』と「がんばっていい」から「がんばるベクトルを変える」ということを試してみていただけたらいいなと思います。
「よし、がんばろう♪」とこころ軽やかに、とか、少し表情がキリッとするくらいならばいいのですが、深刻な表情になりそうになったり、閻魔大王みたいな表情(笑)みたいになりそうになったらぜひ思い出してみてほしいです。
こころの中にある自信の積み木の存在
ここから、1つ、「自信の積み木」というたとえ話をしたいと思います。
〜〜〜
僕たちのこころの中には、「自信の積み木」というものがあります。
そして、2タイプの住人が住んでいます。
まず、積み木を積み上げてくれる大工さん。そして、積み上げた積み木をだるま落としのごとくハンマーでスポーンスポーン華麗に低く崩していくハンマーを持った小人さん。
結構、このハンマーを持った小人さんがマッチョで、積み木を積み上げてくれる大工さんが華奢でひ弱だったりします。
本当に些細なことであろうと、何か1つしでかすだけで、このハンマーを持った小人さんは大活躍。『ああ、自分は何やってんだろう』『自分はダメだ』『こんなんじゃダメだ』という言葉を栄養にして、ジャンジャンバリバリ働きます。笑
ただでさえ、大工さんが華奢で貧弱なのに、こんなにもハンマーを持った小人がパワフルだとたまったもんじゃありません。
さて、どうしたらこの積み木が確実に積み上がっていくのでしょうか?
〜〜〜
このように、こころの中に積み木があって、さらに2種類の住人がいて、さて、どうしようかということなんですよね。
あれがダメじゃない理由、これがダメじゃない理由
もしダメじゃない理由があるとしたら…
ついつい、「あれがダメな理由」「これがダメな理由」「自分がダメな理由」に無意識のうちに目がいってしまったりします。
「ダメだから頑張る」というのも1つですが、「ダメじゃないけどがんばる」も1つです。
もし、自分がダメだと思っているものに「ダメじゃない理由」があるとしたら、どんな理由がありそうでしょうか。
あるとしたら…で大丈夫ですし、『こじつけにもほどがある』『無理がある』という理由でもかまいません。笑
ケーキを食べてしまったそのとき!
例えば、今目の前にあるケーキをめっちゃ食べたいとします。
で、今ダイエット中で『食べてはならぬ!』と思っていたとして、でも、どうしても食べたくて抑えきれずに食べてしまった時に、『ああ、自分はダメだ…』と必要以上に責めてしまって、自分の積み木を崩してしまうとします。
そのときに、「ダメじゃない理由が万が一あるとしたら?」と考えてみます。
たとえば、そのときに『私がケーキを食べてしまっても、それによって笑顔がキラキラになってこれから会う人のエネルギーになったら、素敵やん!笑』みたいに思い浮かんだとして、もしその理由に対して『いやいや、自分何言ってるの…』と思うものでも、それでまずはOKということです。
今の自分の基準は数ある基準の1つかもしれない
自分はダメだと思っているものやダメだと思っていることでも、友人には「え、それいいじゃん!」と言われること、言われたことはありませんか?
自分の中では「ダメ」であっても、人の基準の中ではダメじゃないどころか「いい」と思われるもの、思われることもあるんですよね。
つまり、あくまで自分の中にある「◯◯=X」というものであって、「◯◯=Y」というものが存在する可能性もあるんですよね。
なので、「ダメじゃない理由が万が一あるとしたら?」という自分への問いかけによって、その「可能性」を探ってみる、という感じです。
そのときに答えがすぐに出なくてもいい、とりあえずの答えでもいい
もちろん、そうやって自分に問いかけたところで、すぐに答えが思い浮かばないこと、納得できるものが浮かばないこともあると思います。
でも、それで大丈夫です。
たしかに少しの間、モヤモヤすることはあると思います。ですが、そのモヤモヤが知らぬ間に「ダメじゃない理由」を引き寄せてくれます。
例えばそれは本との出会いだったり、ふと目にしたテレビでの何かのエピソードだったり、ネットで見かけた記事だったりします。
「ダメじゃない理由」とか「それでも大丈夫な理由」というものがあるとしたら?という仮定であっても、それが一度インプットされると、アンテナが張られて、そういう情報をキャッチしてくれるようになるんですね。
例えば、友人と「日産のマーチ」の話をしていたとしましょう。そしたら、日産のマーチを街中でよく見かけるようになるかもしれません。それは、日産のマーチに対してスイッチが入って、アンテナが立ったことでよく拾えるようになっているんですね。
それと同じように、「◯◯がダメじゃない理由」や「それでも大丈夫な理由」がもしもあるとしたら、という「可能性」をインプットしてあげるだけで、目に入る(意識に入る)情報が変わって、見える世界が変わっていくことが往々にしてあります。
偏差値35の無名大学だったのに、中退してライフワークを実現できた理由
僕の場合で言えば、脳内にあったイメージが「いい大学に行っていい企業に入れてそこそこ出世すると、成功する」みたいなイメージだったんですよね、人生で成功するということのイメージが。
だから、2浪もした挙句に無名大学とかじゃ終わったじゃん、って感じだったわけですよね、完全に。でも、まだ20歳なわけで、平均寿命までも60年以上あるわけなんですよね。
そうなったら、あと60年諦めのこころで生き続けるのは辛すぎる、と思って、そうは思えなかったけれど『万が一、こんな自分でも大丈夫だとしたら?』『万が一、ダメじゃない理由があるとしたら?』と自分の脳みそに、無意識の中に質問をしてみて、インプットしてみたんですよね。
そうすると、本当に少しずつですけども、「学歴に関係なく人生を謳歌している人」をちらほら目にするようになったんですよね。本で目にするようになったり、生で耳にするようになったり、そういう人の話を耳にするようになったり。
もちろん、そういうことがあっても『それはその人だから…』とか思っちゃって、なかなか『自分も大丈夫』とは思えなかったんですが、『もしかしたら大丈夫かもしれない』というような「もしかしたらレベル」で少しずつ思えるようになってきました。
それがつまり、「こんな自分じゃダメだ」「こんなことになったらもうダメだ」というものが「少しずつ緩んでいった」ということだったんですね。
『これで大丈夫だ!!』とは思えないかもしれないけれど、『大丈夫…かもしれない…』くらいだったら思える(笑)、ということなのであれば、全然それでいいんですよね。
全然それでよくて、『かもしれない』と思えるだけで、それは「ゆるませられている」ということなんですよね。
ゆるませ上手になると、積み木を崩さなくなって
こういう風に、「万が一」とかもっと言えば、「億が一」でもいいので、「ダメじゃないかもしれない理由」「大丈夫かもしれない理由」に気づけるようになっていって、自分をゆるめられるようになってくると、「こんな自分はダメ」というものが少しずつ減っていきます。
そして、そう感じることや必要以上に自分にダメ出しをしすぎてしまうことも減っていくんですね。
そうなっていったときに、「ハンマーの小人」が積み木を崩すことが減って、結果的に「積み木を下げられる」ことが減って、自信を削られること(自分で無意識に削ってしまうこと)が減るんですね。
で、そうなったらかなり大きな進歩で、「自信を持てる自分」までもう、すぐそこなんですよね。
たしかに、自分で自分の自信を積み上げることって、なかなか難しいかもしれません。それは例えば、自分のことを認めるということだったり、自分のことを褒めるということだったりするわけですが、確かにそれっていうのはそう簡単にはできることではないかもしれませんし、むずかしいことかもしれません。
でも、そうやって仮に「積み上げる」ことが不器用で、下手でも、スローペースでも、「積み木を守る」ことが上手になると、「自分で削る」ことが減って、「大丈夫かもしれない理由」を見つけることが上手になると、「なかなか下がらずにたまに積み上がる」から結果的に「少しずつ自信を持てる自分」になっていくんですよね。
よかったらお試しください。このあたりは何回かにわけて色々な角度からまた記事にできたらなと思います。
それでは、最後までご覧いただきありがとうございました。
『ゆるませたら、自分に甘くなってしまうのでは?』と思ってしまうことももしかしたらあるかもしれません。そんなときは、こちらもよかったら一度ご覧ください。
(執筆中)