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やりたいことが見つかっても『今さらなぁ…』と思ってしまったり、『自分なんかにできるかな』と思ってしまって、なかなか1歩踏み出せないことがあるかもしれません。
そんなときに役に立つ話をお届けしたいと思います。
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目に見える1歩だけが1歩じゃない
何か新しいことをはじめようと思ったとき、未来の理想像がキラキラと思い浮かぶものの、それと同時にものすごく遠くに感じて、1歩目が重くなってしまうことがあるかもしれません。
そして、やり始める前から「やるって決めたら完璧にやり遂げなきゃ」と無意識の中で、これまたズッシリと重くなってしまうことがあるかもしれません。
そんなときのポイントは、「1歩だけでも取り組めたらOK」で「中断OK」ということと、その1歩も「目に見える1歩」だけが「1歩じゃない」ということです。
『脱線しても(いつか笑)戻って来れればOK』という心づもり
仮に途中で飽きてしまったとしましょう。そしたらそれは必ずしもダメなことではなく、それはそれでいいことでもあります。
「飽きる」ということは、「次」に目を向けることができるということで、それは「多様性」に繋がります。
「1つのことを続けられる」ということも才能の1つだと思いますが、「様々なものに興味を持てる」ということも同様に才能の1つです。
もちろん、使命感にも近いようなものを感じて、1つのことをやり遂げようとするのであればいいと思いますが、もしそれを「義務感」に感じてしまって、「息苦しく」なりすぎてしまうのであれば、一度手放してもいいと思います。
逆に、飽きてどうしてもやる気が起きないそのときに、「一時中断」や「一時休憩」を自分にゆるさなかったがばっかりに『今はやりたくないなあ』が『もうやりたくない』に変わってしまうことがあるかもしれません。
それならば、『途中で中断したり、休憩してもいいかな』という心づもりの方が始めやすく、1歩踏み出しやすくなる上に、実際に休憩も挟むことで「やる気」や「気力」も途中途中で回復しながら継続もしやすくなるかもしれません。
もし、そうした可能性があるとするならば、それは有効な方法の1つかもしれません。
『脱線してもOK』という気持ちが1歩の踏み出しやすさと、結果的に継続力に繋がります。
やってみようかなと思えたその気持ちも1歩としていい
また、『やりたいことをやってみようと思っても、なかなか第1歩が踏み出せない』と感じて思い悩んでしまうときにも「1歩目の定義」を変えてあげていいのです。
目に見えることだけが「ちゃんとした1歩」として認められやすい傾向にありますが、「前向きな気持ち」や「決意」自体という「目には見えない1歩」も「立派な1歩」として認めてあげてもいいと思うんですね。
朝顔の話
例えば朝顔のタネをもらって、それを土に植えたとします。
しかしながら、最初のうちはなかなか芽が出てきません。でも、芽が表には出てきてなくても、土の中では着実にニョキニョキと外に向かってタネから芽を出し、芽を日々伸ばしているわけですよね。
そうして、あるときその芽が土の中から出てくるわけです。
それと同じで、『何かやりたいことを見つけてやってみようかな』と前向きなことを思えたとしたら、それは「タネを植えられた」ということなんですね。
さらに、実際にやりたいことが見つかって『途中でダメになっちゃってもいいからやってみようかな』と思えたら、たとえ「具体的な目に見える行動」にその時点ではなっていなくても、それはしっかりと「タネから芽を出して芽を伸ばすことができている」ということなんですね。
たとえ、土から外に芽を出していなかったとしても、もしタネから朝顔の芽が芽を出していたとしたら、それは朝顔にとって「立派な1歩」ですよね。
それと同じで人も、もし「外側の目に見える形の1歩」になっていなくても、たとえ目には見えない心の中の1歩であっても、「同じ1歩」として捉えてあげてもいいのだと思います。
そして、そう捉えて認めてあげられる自分になったとき、不思議とかろやかに、自然と土の外に芽を出せている自分がいるのかもしれません。
今回の話が今後に何かお役に立つことがあったらうれしいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の「目に見える1歩と目に見えない1歩」に関連した「心が軽くなる行動理論〜行動には2種類ある〜」という話はこちらからお読みいただけます。よろしければ、合わせてご覧ください。こころ軽やかに行動力が飛躍します。
【2019年の追記】目に見えない1歩に気づく力は幸福力に繋がる
この話を書いたのは2017年で、あれから約1年半が経ちました。この話は今でも大切に思いますが、さらに追記したいと思います。
この話は目に見える1歩だけでなく、目に見えない1歩も「同じ1歩」として認められるようになると、結果的に行動力や継続力にも繋がるという話です。
確かに、この話を心のしまうと行動力や継続力UPに繋がりますが、それ以上に心が満たされる時間が増え、幸福感がじわじわと増してきます。
幸福感が2倍になる
もし自分が「目に見えない行動」まで「認識」して認められる場合には、「目に見える行動のみを認められる」場合に比べて、純粋に「2倍」自分を認められるようになります。
そして、自分のことを認められることで心を満たすことができて幸福感を感じられるとき、感じられる幸福感も2倍になります。
人生の幸福が2倍になります。
人の良さも2倍見つかる
自分の目に見えない行動に気づいたり、認めてあげられるようになると、自分以外のそれらにも気づくことができるようになります。
例えば、一緒に働いている人や家族や恋人。
何かをがんばろうとしているけれど、思うように行動ができなかったり、1歩踏み出せてなかったとします。
でも、それを見てその人の「目に見えないがんばり」を感じることができるようになります。
そうなると、自分がその人にかけられる声も変わってきます。
自分がかけられる声が変われば、その人の心が軽くなるかもしれませんし、より素敵な関係性になることもあります。
また、自分がそういったものの見方をできるようになると、周りの人が自分自身に対して向けてくれる目も変わりますし、その結果として「世界」が変わってきます。
「自分のため」が苦手だったら「人のため」に
自分自身のためにがんばることが苦手で、だけど、人のためにがんばることはとても得意な人がいます。
もしあなたがそういったタイプだったら、自分のために「自分の目に見えない行動を褒める訓練」をするのではなく、「人のために」と思って取り組んでみてください。
ゆくゆくは「人の目に見えない行動にもしっかり気づける自分」になるんだ、と思ってそのためにまずは自分の目に見えない行動に気づく訓練をしよう、と思うのがオススメです。
早速、今日の自分の「目に見えない行動」を1つでいいので、見つけてみてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。