ご覧いただきありがとうございます。
今回は、先日のタンブラーのフレーズを
深掘りしてお話ししたいと思います。
何よりも僕自身が
「忍耐力」や「忍耐」という概念や感覚に対して
とても苦手意識がありました。
とても首を絞められているような、
窒息へ向かっているような
そんな空気感を感じていたからです。
何か新しいことを始めて継続できなかったとき
『ああ、自分は忍耐力がないんだな…』
とか、
自分が手にしたい成功のために
継続しなければならないとわかっていることが
どうにも途中で嫌になってきたときに
『こんなことで嫌になってるなんて、
なんて忍耐力がないんだろうな…
これじゃ無理かもな』
なんて言葉が心をよぎったことは
何度もありました。
そんなときに
「忍耐だ、忍耐だ」
なんて言葉は僕の支えになりませんでした。
ただただ挫折を早める挫折促進剤。
でも、ある時を境にこの「忍耐」地獄から
楽になりました。
そして、物事の継続力が高まり、
自然と成果は上がるようになってきました。
僕が起業を目指した時に自分の中で掲げた
経済的成功の1つのライン
「月100万円」
に到達したのもこれができた後でした。
物事が進むようになったり、挫折しにくくなって
継続性が高まったり、ざわざわしがちだった心が
落ち着いて平穏でいられるようになったり。
物心両面での変化がありました。
今回の話があなたにとっても
お役に立つものとなったら嬉しいです。
Contents
忍耐はゴリゴリ「進む」ことではなく、ゆったり「待つ」こと
「じっと耐えながら進み続ける」
「じっと耐えながら歩みを止めない」
僕のかつての「忍耐」のイメージです。
嫌々でもやる。
今は苦しいけど、だけど、やる。
もちろんこれも1つだと思います。
起業初期にビラ配りをやった、忍耐強く(笑)
今の僕であれば考えられないのですが、
起業したいと思った本当に最初の頃に
ビラ配りをやったことがありました。
しかも2回もやりました。違うサービスで。
自分の独自サービスを考えて、
それを告知する方法として
ポスティングやビラ配りをしました。
当時は右も左も分からず
とりあえず「やったらよさそうなこと」として
やりました。
何でもやってみなきゃダメなのかな、という
熱血感溢れる系でしょうか。
本当に合わなかったですね。
このときがまさに「忍耐」モードでしたね。
『やりたくないけど、やらなきゃダメだよな、
やれることは何でも全部試さなきゃダメだよな、
忍耐強くやらなきゃダメだよな…!』
みたいな感じです。
結局、身も心も疲労感は尋常ではありませんでした。
そして、
『こんなビラ配りやポスティングで
心が折れてるようじゃ成功なんて無理だよな、
なんて自分は忍耐力がないんだろう…』
なんて思っていました。
ただビラを配るだけだったら、
そういうバイトだったら
良かったのかもしれませんが、
自分のサービスのビラを配るというのは
怖さ満点でした。
そこに記した自分のサービスが
受け入れられるのかわからない、
これを手に取った人はどんなふうに思うだろう、
そんな緊張感や恐怖心を持ちながらのビラ配りでした。
今の僕が当時の20歳そこそこの僕に会って、
一言言うとしたらきっとこんなことを伝えます。
「それ、やりたくないんでしょ?
じゃあね、やらなくていいんだよ(笑)
大丈夫だから(笑)」
堂々と逃げろ、避けろ、待機して迂回しろ
本当にやりたいことや本当に
そのタイミングでやる必要のあることだったら、
考える間もなく「やっています」。
気づいときには「事後」です。
無我夢中です。
迷っていたり、嫌々なタイミングでは
堂々とやらなくて大丈夫なのです。
それはある種の
「ベストタイミングではないよ」
というサインなのかもしれません。
「他の道があるよ」
というサインなのかもしれません。
行動には2つあるという話を
このブログでもしていますが、
何も目に見える行動(外側の行動)を
一見していないときも
「ちゃんと目に見えない行動(内側の行動)をしている」
のです。
まさに
『やりたくないけど忍耐強くやらなきゃ!』
というタイミングは
「本当は心の行動のタイミング」
なのかもしれません。
つまり、
「今は心の行動のタイミングだから、
じっくり心優先でいいんだよ」
ということなのかもしれません。
「やりたくなるまでやらない」
僕にとっての忍耐は
「やりたくなるまでやらない」
ことです。
これが僕にとっての忍耐です。
やりたくなったらやるのです。
チラシやビラ配りだったら、
やりたくないのでやらない、
のです。
そうなったらどうなるかといえば、
「違う方法」が見えてくるか、
「気づいたらやってる」のです。
『やらなきゃダメだよな?
今何かやらなきゃまずいよな?
ビラ配りでも何でもやらなきゃダメだよな?』
と葛藤しているタイミングなら、
やらないのです。
忍耐強く「やらない」のです。
真の「やりたい」とは「やりたいとかやりたくないとか超越した次元」
ぶっちゃけますが、
「やりたいとかやりたくないとか迷っている」
ときは大してやりたくないんです、
まだそんなにやりたくないんです。
むしろ、
内側の行動をたっぷりしたいとき
なのです。
そんなタイミングで無理やりやったら、
「二度とやりたくなくなる」
のです。
だからやらなくていいのです。
真の「やりたい」というのは、
気持ちを抑えられません。
気持ちを抑えられないタイミングがあります。
「行動がどうしたってはみ出ちゃう」
タイミングがあります。
それは
いい意味で/よくない意味で
「やりたいとかやりたくないとか言ってられない」
タイミングかもしれませんし、
「もう何もやらないことに耐えられない!
じっとしてられない!エイヤー!」
というタイミングかもしれません。
例えば僕が初めて月100万円という世界に
到達したのはとある年の「夏」だったのですが、
本当は気持ち的には春頃には到達したかったのです。
それは焦りと義務感による
「疑似やりたい」
だったのだと思います。
(表面上の)気持ち的には「やりたい」と思っていたのです。
それは同級生や周りの人たちと
自分の進捗とを比べての
焦りだったかもしれません。
自分は進むスピードが遅いんじゃないか、
これだけ時間かかってて遅いんじゃないか、
なんて焦りがあったと思います。
もし僕がそこでかつてのように
「強行突破!」
しようものなら今の僕はないと思います。
もうきっと仕事が嫌になっていた。
当分、仕事から離れていたかもしれません。
「まだ」やらないという選択とその時取った内側の行動
そのときの僕は、
焦って仕事を増やそうだとか、
仕事を取ろうだとか
そういったことはしませんでした。
忍耐強く「やらない」選択を取りました。
そのときに取ったのは、
思考行動、感受行動、
内側の行動です。
自分でじっくりいろいろ考えること、
ゆっくりいろいろ感じること。
感じ取ること。
「やりたい」だったものが「やらねば」に変わってない?
例えば、
「やりたいこと」がいつしか
「やらなければならないこと」に変貌している、
なんてことは少なくありません。
これができたらすごい、
これができたら最高、
って思って「ぜひやりたい」と思ったこと。
それがいつしか
『それができなきゃ自分はダメ』
とすり替わってしまうのです。
『○○ができたらすごい!価値がある!』
なんて思っていたことが
『○○ができなければ価値がない!』
なんて変わってしまうことがあるのです。
目標が義務に変わるのです。
もちろん、
かつて夢見ていたことや目標だったことが
義務になるというのは自分の基準値の進化、
コンフォートゾーンの高まりという成長
ではあります。
でも、その義務感によって
心が窒息してしまうのなら、
自分を一度リセットする必要があります。
それをできるかできないかで決まらない
自分の存在価値の認識です。
『時が来てないな』というタイミングでは
こういったことをじっくり考えたり、
感じ取ったりするチャンスがあります。
「忍耐強く挑戦だ!挑戦の継続だ!行動だ!」
ではなくても、しっかり頭や心は行動します。
目に見える行動をしていないからと言って、
自分自身は何もしていないわけではないのです。
「堂々とやらない」
「やりたくなるまでやらない」
「行動が自然とはみ出ちゃうまでやらない」
そんな選択肢も自分の中に持っておける
ようになると、自分の心の穏やかさや
落ち着きは変わります。
そしてその結果として、その安定感や安心感が
自分の持てる力を十二分に発揮させてくれます。
後半ちょっと話がどんどん展開しましたが、
何か伝わってお役に立ったら嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
よろしければこちらも合わせてお楽しみください。